白山の四季

12月31日夜、11時30分から三重県津市白山町上ノ村にあります「天台真盛宗中本山慧命山成願寺」において除夜の鐘をつく行事があります。成願寺の聖人さんのお経の後、どなたでも鐘をつくことができます。
仏教では、人間の煩悩(欲望、怒り、無知など)は108種類あるとされ、除夜の鐘を108回鳴らすことで、これらの煩悩を一つずつ消し去り、身心を清めるという目的があります。
鐘の音は「神聖・清浄」を意味する言葉に由来し、その響きは苦しみから逃れ、悟りへと導く功徳があるとされます。
歴史的背景は、
除夜の鐘の風習は中国から伝わり、日本では鎌倉時代に仏教行事として広まり、江戸時代には一般的に行われるようになりました。
もともとは年神様を迎えるための夜であり、年越しそばを食べる風習もこの頃から定着しました。

除夜は単なる大晦日の夜ではなく、1年の穢れを浄化し、感謝し、反省し、清らかな心で新しい年を迎えるための、日本古来の「心の大掃除」を行う特別な時間なのです。


成願寺へは、暖かくしてお越しください。

 


白山道しるべの会
令和7年12月26日記



本日、白山道しるべの会「研修会」(亀山周辺の体験&散策)に会員12名•総合支所1名の13名で、亀山ローソクでキャンドル作りと工場見学をしました。
その後、日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓のある能褒野神社参拝⛩️•亀八食堂でB級グルメの味噌うどんを食べて、関宿をガイドさんの説明で散策しました!
余りにも寒いので、石山観音はスルーして帰りました。


能褒野神社は、日本書紀に記された日本武尊を主祭神としています。



今日は、お世話になり有り難う御座いました。

また、お疲れ様でした‼️

関宿のガイドさん楽しかったですね‼️

火縄、会津屋、地蔵院、玉屋、鶴屋、幕板、ばったり、東追分側が漢字、西追分側がひらがなになっていることでしたね🎵(永井)



白山道しるべの会
令和7年12月12日記



白山町三ケ野弘安寺に、六面石幢(ろくめんせきどう)がありました。

白山道しるべの会橋井敏彦調査




白山町三ケ野弘安寺に、 死者 の 霊 を 供養 するために 建てられた 六面石幢(ろくめんせきどう) があります。
  幢身(どうしん) の 上部を 六角 にし、 六面 にそれぞれ 仏像 が 彫あったと考えられます。 東面(とうめん) に 阿弥陀如来(あみだにょらい) 、 向む かって 右 に 観音菩薩(かんのんぼさつ) 、 左 に 勢至菩薩(せいしぼさつ )、 西面(さいめん) に 薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう) 、その 右に 持錫(じしゃく) の 地蔵菩薩(じぞうぼさつ )、 左 に 密印(みついん) の 地蔵菩薩(じぞうぼさつ) を 彫刻 しています。


この六面石幢は、津市白山町内には「二俣の正覚寺」「家城の西光寺」にあります。

 

 

二俣正覚寺の六面石幢


白山道しるべの会
令和7年12月12日記

ようこそ白山町へ。

12月4日、ふれあい長寿津の27名の皆様を家城へ案内しました。写真は家城神社とニ雲橋からカエデの森です。

カエデの森は、二週間前は素晴らしい紅葉でしたが、すでに葉が落ちていました。


今日はとても寒い人なりました。



白山道しるべの会
12月4日記

11月26日(水)河芸江の会の皆様が、白山町の家城ラインを探訪にお越しいただきました。紅葉真っ盛りの中、真見城址・二雲橋・西光寺などをご案内しました。昼食後には、紙芝居を上演し白山町の秋の一日を楽しまれました。

ようこそお越しいただきました。



ピンクの法被が素敵です。




白山道しるべの会
令和7年11月27日記

「秋の家城地区を歩いてお宝ゲット」ウオーキングが秋晴れの中、終了しました。
ウオーキング姿の参加者の皆さんは、4,5㎞のコースと2,5㎞のコースに分かれて出発!
西光寺、家城神社、瀬戸が淵でその歴史を聞き、家城公民館でお宝ゲット。
無事終了しました。




白山道しるべの会
令和7年11月10日記

「白山町内の中勢鉄道
  通称 軽便鉄道」

令和7年8月6日(水)第4回地域再発見講座がありました。
演題は表題の通り、白山道しるべの会 橋井敏彦さんのご講演でした。


 


明治の終盤、大日本軌道の手により津の岩田橋から久居間が開業。のちに路線を引継いだ中勢鉄道により伊勢川口までの延伸工事が行われ、大正14年に全線開通したが、早くも昭和18年に廃止となった。準拠する法令の違いにより、津~久居間は軌道部、久居~伊勢川口間は地方鉄道部として区別されるも、実際の運用は一体化され、まさに「けいべん」と呼ぶにふさわしい鉄道であった。
地区:三重県津市  区間:岩田橋~伊勢川口/20.6km  軌間:762mm/単線  動力:蒸気・内燃

略史
明治 41(1908) - 11/ 10  大日本軌道 伊勢支社 開業
大正 9(1920) - 3/ 3  中勢鉄道 大日本軌道伊勢支社線を譲受
大正14(1925) - 11/ 27    〃 全通
昭和 18(1943) - 2/ 1    〃 廃止、

白山町内には、中勢鉄道の橋台等が残っていて、その昔をしのぶことができます。

ご案内は白山総合支所地域振興課までご連絡ください。

電話:059-262-7011


白山道しるべの会
令和7年8月6日記


2025年7月17日(木)第3回地域再発見講座は「稲垣を歩こう」と八ツ山公民館に集合しました。がこの日は雨のため、白山公民館での座学となりました。



享禄2年(1529年)に北畠氏から稲垣の地を与えられた川原田相模守実秀によって築かれたと云われています。

稲垣城の特徴は、主郭は方形、四方に「土塁」を持ち、北側背後の「土塁」は幅広で高く、明確な出入り口の虎口があり、虎口の外側に「土塁」を持ち、小さな曲輪が見られる。


城郭用語を見ておきましょう。

郭(くるわ)・曲輪(くるわ)・・・防御、居住を目的に削平された平地

主郭(しゅかく)・・・中心となる曲輪のこと
虎口(こぐち)・・・郭・曲輪の出入り口
土塁(どるい)・・・土を盛り上げたり、土を削り取り築いた障壁
堀切(ほりきり)・・・城と土の尾根を深く削り取り、敵の侵入を防ぐ為に設けた堀




白山道しるべの会
令和7年8月2日記




6月19日(木)白山公民館第2回地域再発見講座「三ケ野を歩こう」を開催
講座生17名・道しるべの会7名・公民館2名 計26名が参加しました。
会員の橋井さんが、三ケ野川沿いに数基ある風呂屋地蔵を中心に、道標や藤堂高虎の三男藤堂高清、弟の正高が三ケ野に5年間蟄居(ちっきょ)された屋敷跡を案内しました。
暑い中でしたが三ヶ野の上の風呂屋地蔵から165号交差の道標まで、約5㎞(10.000歩)を歩きました。




風呂屋地蔵
川の窪地に竹の支柱でむしろを囲み、焼いた石を投げ入れ、湯気で蒸し風呂(今のサウナ)状態なった風呂
・当時は疫病が多く発生していたので、体の体温を上げ病気の対処法に使われていたのでは、・・・の声も
・7月8月にはお地蔵さんの近くの人が集まり(講)を造り念仏をしておられます。




白山道しるべの会
令和7年6月27日記

令和7年6月3日、津市白山町三ケ野「欣浄寺」で三ケ野の皆様に、白山道しるべの会橋井講師による「三ケ野に残る風呂屋講」に付いての講演会を行いました。
参加者は住民の方々14名、JA職員さんボランティアの方々の13名、白山道しるべの会会員5名参加でした。

その時代、風呂はどうしていたか、興味のあるお話でした。


白山道しるべの会
令和7年6月7日記

賢吉です。
倶留尊山に行って来ました。
お亀池は余り水が無かったです。
石楠花が綺麗でした。


倶留尊山は三重県津市と奈良県曽爾村にまたがる標高1037mの山で、日本三百名山にも選定されています。倶留尊山の山頂に向かう途中には、曽爾高原(そにこうげん)と言う美しい高原もあります!春夏秋冬、それぞれの美しさがあり、年中通して人気のスポットになっています!



お亀池は余り水が無かったです

多くの人が来ていました

美しい

曽爾少年自然の家が見えます


元気に歩いていますよ



白山道しるべの会
令和7年5月22日記