「寛政の一揆」看板設置

寛政の一揆は、今から200年ぐらい前の寛政8年(1796年)12月に起こりました。
この年は飢饉の影響があり、幕府では「寛政の改革」を行い、財政の立て直しを図りました。
津藩も財政難でいくつかの改革を実施しました。
その中で、「均田制」という案がありました。


これまでに苦労して田畑を手に入れた農民や、広く耕作し農業を営んできた農民にとって、一夜にしてこの財産を失うことになるので、強く反対しました。
現在の津市白山町や津市久居榊原町の小倭(おやまと)郷の農民たちは、均田制の中止を願い出ましたが、藩側は強行しようとしました。
そこで、農民みんなの願いを聞き入れてもらうため、農民一揆となりました。






結局は、農民の願いの趣旨は聞き届けるということで、騒ぎは収まりました。
しかし、藩は、農民のために立ち上がり中心となった人たちを処罰しました。

農民たちは、中心となった人たちに心からありがたく感謝し、「世直し大明神」として祀りました。

この中の一人、池田佐助の墓碑が白山町大三にあり、この度看板を設置しました。




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