稲垣城について

白山町稲垣の山城 稲垣城跡(いなかけじょうあと)について説明しましょう。

 国道165号の垣内交差点から雲出川を目指し、県道垣内御城線を南に進むと、東側には尾根が連なっています。その尾根の南端にある万福寺の裏山に稲垣城跡があり、山道を登ると城の中心部にたどり着きます。

 城の中心部の曲輪(居住や防御のため削平区画された平地)は約2 0 m 四方の方形で、特に西側の土塁(土を盛り上げたり、削り取り築いた障壁)の幅は広く、高さは低い所でも3m以上あります。

 その奥には幅が広く深さもある堀があります。

 また曲輪には東向きの虎口(曲輪への出入口)があり、小規模な曲輪、土塁、堀が続くのが特徴的です。これらの特徴は白山地域内の上ノ村城跡(上ノ村)、奥佐田城跡(佐田)などにも見られます。

 稲垣城跡のある白山地域北部は、中世には小倭郷と呼ばれていました。江戸時代に記された「勢州軍記」によると、小倭には小倭七人衆と呼ばれる領主たちがいたと記されています。

 また、「勢陽雑記」では、そのうちの一人、岡村修理亮が稲垣に居住と記され、彼が稲垣城主であったといわれています。岡村氏の名前は江戸時代に記された北畠氏の家臣録にも記載されており、北畠氏の滅亡後は、織田信長の次男である織田信雄に仕え、信雄と豊臣秀吉との対立の中、秀吉配下の蒲生氏郷による小倭攻めの後、ほどなく亡くなったとされています。

 山中に残る城跡は、白山地域の歴史を今も静かに物語っています。


堀切

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